今日はこの暑いのに朝いちから家族で学童保育所の清掃作業。草刈りに窓拭き、樹木の剪定、長い夏休みを保育所で過ごさせていただくための準備、準備。もう汗ダラダラ。ひさびさ顎から汗が滴り落ちるのを体験した。明日も朝いちで小学校のバスケの親子試合に家族で参加しないといけないし、子どもを育てていると、何らかのコミュニティに属しながら生活しないといけないので結構しんどい・・・。けれど我が子のためだと思いもくもくと職務を果たさなきゃならない。面倒臭いけれど、結局はめぐりめぐって自分のところに返ってくることなんだ、と自分に言い聞かせながら作業に没頭する日々。お陰で子どもたちはこんなに周りの人々に愛してもらってすくすくとそだっているじゃあないか、それでよし、それでよし。
最近の私はラッキーな日々が続いている、ことになっている。子どもたちが学校から帰って洗濯機に放り込む靴下がいつも裏返し(中表になってる)状態になっていて、ちっとも靴下が綺麗に洗濯されないし、注意してもちっとも改善される方向にないし、どうしたもんかな?と考えて子どもたちと知恵比べ。
「お母さんな、毎朝洗濯物干す時、占いしてんねん。」女の子は占いとか好きなので、この手の話題だとすぐにくいついてくる。「えー!何の?」「母さんの名づけて、靴下占い!CちゃんとRちゃんの二人の靴下四つあるやろ。四つのうち全部靴下が表になってたら、今日はラッキーな日や!って思うことにしてんねん。今日なんか、全滅。全部裏返しになっとる。アンラッキーな日。一日気をつけな、ってね。頼むから、お母さんの毎日をラッキーにしてやあ。」「わかった!」
もうねえ、面白いほどにその日から洗濯機に放り込まれる靴下が裏返しにならなくなった。「おかあさん、明日ラッキーな日やで!」ということで最近ほぼラッキーな日々。言ってしまったからにはラッキーな日にしなきゃね。子どもとの知恵比べは私が勝利した模様。子どもとのこういう作業って本当に楽しい。頭を柔らかくしとかないとなあ。
最近のこの夏休みを待つだけの感じの空気、嫌いではないなあ。そんな時ふと今でも思い出す曲があって、大江千里の「天気図」という曲なのだけれど、中学生のとき本当によく聴いていた。多分コードはこびが私の好みそのものなのだろうなあ。あのころはとにかく早く大学生になりたくて、キャンパスで友達と談笑する自分をイメージしながらこんな曲ばかり聴いていた。
大江千里に関しては「1234」というアルバムを最後に聴かなくなってしまったのだけれど、「コンチェルト」という曲の歌詞の情景が好きでお気に入りの便箋にうつしていたりもした中学時代。今見直しても綺麗な歌詞だったと思うのだけれど。

そでをおろし通る小さな階段に 少し肩に落ちる西日をまどろんだ 
見かけだおしの誰かを愛してしまいそうな気がする 不思議な午後
季節はずれの何に迷いを残して ふと佇んで息を飲み込んでしまう 
私電が通る度にサッシに影が落ちる 時計にはさんだ料金証

勉強はせず、友人との交換日記とブラスバンド、あとは太宰を読みふける女子中学生。「女生徒」とか「猿面冠者」が好きだったなあ。今考えると悶々としてた。人生には少なからずそういう時期が必要なのだ。