何もない一日。
朝からゆっくり起き出して子供達と一緒にホットケーキを焼いて遅い朝ご飯。その後はひたすら家の片付け。今週はとにかくバタバタで家の中が凄いことになっていたもので。
それにしても子供達の机周りのガラクタのなんと多いことか。メモの切れ端、折り紙、牛乳パック工作、お絵かき、友達へのお手紙の書き損じ…タマにこうしておさらばさせてあげないと家の中がもの凄いことになる。今日だってざっと子供達のゴミだけで袋2つ分もあった。それでも意外とこの作業、私は好きだったりもする。だって宝探しみたいみたいなのだもの。彼女らのガラクタの山の中にはたまに宝が潜んでいて、それを拾い上げては「こんな素敵な絵描くんだ」とか「こんな熱烈なラブレターみたいなもの書いたりもらったりするんだ」なんて感心しては別枠でとっておくのだ。
そんなこんなできれいになった部屋のカーペットで、お昼からみんなで(というか夫婦で)ごろごろ。ふざけた子供二人が背中に乗っていても、ものともせず熟睡できる夫婦なんて私たちくらいかな。引き続きそんな子供が背中に乗った状態で私は絲山さんの「海の仙人」を一冊読んでしまう。その状態でも後半部の恋人を失った主人公の孤独感を想い涙を流せる私。もはやこれは特技の部類に入ってくるんじゃあないだろうか?
読了後は食料調達。今日は家族で卒園お祝いをしよう!と目論んで昼からケーキも焼いておいたので。メニューは手巻き寿司ということで、すっかり常連になっている魚屋で新鮮な刺身を手に入れる。だし巻きはいつもは私が作るのだけれど、帰り道にここのところ閉まっていただし巻き屋さんが開いているので立ち寄る。
「どうしはったん?しばらくお店閉めてはったみたいやけど?」なんて店番のおばちゃんに話しかけると、奥さんがだし巻きを巻いてる最中に倒れてくも膜下出血で亡くなってしまったこと、残されたご主人が鬱状態になってしまって先週からようやく持ち直してだし巻きを巻くようになったこと、娘さんの結婚式が控えていたのに急に逝ってしまわれたので式が延期になったこと…などなど泣きながら堰を切ったように見ず知らずの私に話される。まだまだ話し足りない様子だったけれど、さすがに雨の日に通りの多い道路に停車していたことが気になって「また買いにくるし、きばってだし巻きつくってや!」と言い残しお店を後にする。
家に帰って家族とのお祝いの最中に食べるだし巻きの味は、亡くなったおばちゃんが巻いてたときの味と何ら変わらなくって、何十年も確実にその仕事が夫婦で共有されていたことが窺える。すごいなあ。私が急に逝ってしまったとしたら誰に何が受け継がれているだろう?今の私には思い当たらない。

海の仙人

海の仙人

「なにかすることは前に進むことなのか?」の問いに「自らが自らを救うのだ」と答えるファンタジー。それを「生きている限り人間はすすんで行く。死んだ人間は置いていくしかないのだ。そしてそのことを亡くなった恋人も受け入れてくれるはず。」と解釈して新しい生活を取り戻す河野。今日のだし巻きやさんのご夫婦と被っていた部分が多くて、いろいろとまた夜中に考えにふける。