近くの美術館で「イサム・ノグチ展〜世界とつながる彫刻」が開催されていて、それを記念して親子で参加できるワークショップが開かれるというのでいそいそと家族で出かける。
イサム・ノグチを知ったのは、以前山口淑子さん(李香蘭)の半生を語っている文を読んだことがあって(私はかなりあの昭和初期から戦前戦後の激動の時代にに翻弄された人というのを辿るのが結構好きな節があるよう)、その時に彼のことも興味があっていろいろとさかのぼって調べてみたりしたのがきっかけ。だから今回も楽しみにしていた。
今回の展示では「顔」「神話・民族」「コミュニティーのために」「太陽」の四つのキーワードで作品が分類されていて、それぞれについて学芸員さんが子供でもわかるように丁寧に説明してくださった。先日の藤田もそうだったように、自らが身を置くコミュニティーの中で居場所がないノグチが、人と人とのつながりをより深い次元に求めて行った結果作り出された作品という部分をとても強調されていた。こんな作品なんかは大人よりもむしろ子供の感性の方がダイレクトにキャッチできるだろうなあ。子供たちと一緒にいつの日かモレエ沼公園も行きたいなあ。なんて思いながら見てまわる。
後は別室にて粘土細工。手触りを大切にした作品を作ろう!っていうことだったけれど、悲しいかな、全く何もできてこない。ただただ粘土を触りながら時間ばかりが過ぎていく。子供たちのほうが自然な感性で自由に土をいじっている。はあ、悲しい。まあ、こんなときすごいのが作れてたら今頃私は食卓で毎晩ご飯の用意なんかしてる場合じゃないのかもしれないし、現実はこんなもんだ。
帰ってから子供たちがダブルで発熱。手慣れたもので介抱。以前は子供たちが病気のときはブルーになってたけれど今はむしろ介抱し甲斐があるってかんじでそんなに苦じゃない。だって「頭が痛い」と言えば頭を、「お腹が痛い」と言えばお腹を優しくさすってあげてると満ち足りた表情に変わって眠りにおちていく娘たち。私、ひょっとしてゴッドハンドの持ち主かも!なんて錯覚起こすくらい。でもゴッドハンドだったら普通もうちょっとましな粘土細工できるよなあ。なんて。
今日の音楽はBonnie Pinkの「ほほえみの糧」懐かしい。聴いてた頃から10年近く経ってるなんてびっくり!彼女の声最近よくラジオで耳にするので久々引っ張り出してきて聴きたくなったので。
「とがった人生はつらいのか 経験というものを全てほほえみの糧とするのか 苦い思い出は昇華するのか」うーん。深いなあ。「灰色の歳になって バラ色にほほえめたらいいけど」。

Heaven's Kitchen

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