chihiryou2007-02-19

長女の国語の宿題にほぼ毎日といっていいほど音読がある。私は夕暮れ時、大抵彼女が国語の本を広げて音読するのを聞きながら夕食の準備をするのだけれど、ここのところのお話は聞く度に毎回毎回泣けてしょうがない。今彼女が読んでいるのは切ない切ない「はるのゆきだるま」というお話。

山奥にひとりでぽつんと立っている雪だるま。たまたま通りかかった森の動物たちから「春」ってものがどんなに素敵なものかを聞かされた雪だるまはそれはそれは春に憧れ、動物たちが春のお土産を持って帰ってきてくれるのを待ちわびているのだけれど、動物たちが雪だるまのもとに帰ってきたときには既に雪だるまは溶けていなくなっていた。ごめんね、と泣いて謝りながら動物たちはそれぞれが手にした春のお土産を溶けてしまった雪の上に捧げる。
山も春を迎え、すっかり雪だるまのことは忘れてしまったかのように元気に森で遊んでいた動物たちがある日「あ、雪だるまさんがいる!」と駆け寄る。それはかつて雪だるまが立っていたであろう場所に沢山の白い花が咲いているのだった。動物たちはだまったままいつまでもその花の雪だるまを見つめていた。
っていうのが、おおまかなあらすじなのだけれど、なんでこんなに切なくなるのか自分でも解らない位、毎回はらはらと涙が頬を伝ってしょうがない。何が切ないってラストの場面の、動物たちがだまったままいつまでも花の雪だるまを見つめているシーン。うーん、深いよなあ…。
私は結構涙腺の緩いほうで、子供たちに本を読んであげたりしながら泣き崩れてしまうことが度々ある。「お母さんが子供のとき、おばあちゃん本読んで泣いたりしてた?」と長女に聞かれたけれど、彼女が涙を流している姿はほとんど目にしたことがない。「泣いたのは余り見た事がないけれど、お母さんが書いた作文を捨てきれずにとっていてくれたりしたよ。」とふと思いついて答えてみる。「どんな、作文ー?」と聞かれて久々思い返してみる。
あれは作文というか広告紙の裏かなんかに小学生だった私がふと書いていたのを母が捨てきれずにとっていたのだった。母が買ってきた沢山のオレンジ色のバラの花がきれいで大好きで、毎日花瓶にさしてあるその花々を見ているだけで心が躍ったこと。ある日しおれたバラの花々が無造作にゴミ箱に捨てられていてひどく心が痛んだこと。花にも終わりがあるのだ。でも咲いているあいだは皆に愛されて幸せだったろうなあみたいな事を書いていたと思う。「愛」って言葉を背伸びして使ってみたものだから何だか子供心に照れくさくて、誰にも見せられずゴミ箱に捨てておいたのだった。それを母が拾い上げてとっていてくれたのだ。
ああ、あっという間に時代は廻ってくる。今度は私がとっておいてあげるばん。

はるのゆきだるま (日本の絵本)

はるのゆきだるま (日本の絵本)