chihiryou2007-10-13

山から帰ってきた頃、金木犀の香りが匂い始めてる・・・くらいに思っていたら、あれよあれよという間に今週はむせ返るほどの匂いに。「お母さん、これにおいぶくろー。あげるー」と子どもたちが金木犀の花々を集めてサシェみたいなものを作って私にくれるのだけれど、いちいち鼻に押し付けられて、その度に強烈な金木犀の匂いを嗅がされてクラクラした。
今週もなんだかばたばた。何をしていたかと問われると答えに困る感じなのだけれど、二女の就学時前検診やら長女のクラス懇談会の準備やらピアノの発表会の準備、前の職場の残務整理やら現職場の新しい仕事、その他頼まれていた原稿をこちょこちょ書いたり、お礼状を何枚もまとめて書いたり。メモにしておかないと忘れてしまうのでチェックしながら。あと、ずっと目の調子が悪くて、手持ちの抗生剤やら抗アレルギー剤の目薬を点してたのだけれどすっきりしないし、不意に思いついた時間に眼科に行ったら眼圧が高いと言われてギョッとして検査したりした。目が利かなくなるということほど恐ろしいことはないので。幸いたいしたことはなくってホッと。
それなのに子どもらはお構いなしで、「お母さん、おやつに家で焼いたパンが無性に食べたいー」とかいうもんだから、発酵時間の合間に用事片付けたり。はたまた遠方の友達んちに遊びに行ったりして、疲れて車で迎えに出かけたら夕方の渋滞につかまったり。後で考えると「無理!」って言えばよかった・・・なんて思うのだけれど、そのときはできる、やれる、って安受けあいしちゃうんだよなあ。日が暮れるのがびっくりするくらい早くなったので、夕方の時間が驚くほど短くなった。それでも慌てて取り込んだ洗濯物を私が晩御飯の用意してる間にたたんでくれてたり、お布団を綺麗に敷いていてくれてたりするともう全てがどうでも良くなっちゃって二人をぎゅーっと抱きしめたままそのまま寝ちゃったりして、朝は日の出と共に目覚める。美しい朝焼けを今週は何度も見た。
ダメージを受ける出来事がもう一つあって、それは5年来の知り合いと言うか大切に思っている人というか同士みたいな人が突然厄介な病に倒れてしまっていることにもある。1ヵ月後には海を渡り未開の地で3年間過ごすことになったと知らされたときには、不安そうだけれど期待と自信の入り混じった誇らしげな彼女の顔を眩しくさえ感じたのだけれど、心配で電話してみると消え入るような声。「死んでしまったらどうしよう。」なんてこぼす彼女に、何も知らず不躾にも元気な声で電話してしてしまった自分にすごい嫌悪感を感じる。なんてデリカシーの無い私。人にはそっとしておいて欲しいときもあるのだろうに、ズケズケと土足で踏み込んでいくような女である自分にペッと唾を吐きかけたくなるような衝動に駆られちゃって、ちっとも成長のない自分にほとほと呆れる。
でもね、でもねこれだけは弁解。心配で心配でたまらなかったの。長い間会えないあなたのことを心に留めている人がいると言うことを伝えたかったんだ。きっと、その病気は掌を返したように治る病気じゃあないし、長い間付き合っていくためには焦らず焦らず。細く長く気に留めているから。
ほら、またここでこんなところで弁解してる。でもこうしてでも前に進んでいかなければやりきれない。誰の身に起こっていてもおかしくないこと。もちろん私の身にだって起こりうること。
今日の音楽は「天使たちのシーン
普遍的な毎日を送ることがとてもとても幸せなことだということを確認したいときは、ベタかもしれへんけど無条件に聴きたくなる曲。