chihiryou2010-11-21

久々に子どもも私もフリーの日。のんびり起きて実家に電話。今日は父の誕生日。元気で何より。多くは話さなくともお互い何が言いたいかわかっている。「あなたも体に気をつけなさい。」「はい…。」
仕事人間だった父が定年退職した時は、「この人はこれから抜け殻みたいになってしまうんだろうかあ・・・」なんて妹と勝手に心配なんかしてたものだけれど、私たちの心配をよそにリタイヤした者のお手本のような毎日を送っている父。戦後社会のいろいろを潜り抜けてきた人は、もうそれだけで人格の層みたいなものが厚くなっているのだろう。自分の役に立ち方がちゃんとわかっていらっしゃる。毎日めちゃ忙しそうだし、楽しそう。娘としても幸せです。元気でいてくれてありがとう。
我が家のほうといえば、女三人で気楽な毎日を送っている。先日から怒涛のように深夜までの残業を繰り返していた夫は、北欧に旅立ってしまって不在。たまーに「オリゴのボールが日本より安いし買い足そうか」だの、「ティーマも買い足そうか」「雪が…」だのどうでもよいメールが届く。結局夫がどこに何をしに行っているのか、なんとなく聞いていただけでよくは知らない。いつどれくらいに帰ってくるのかも、よく知らない。そのうちメールが来るかな。
最近の夫の頑張り具合は私にとって静かだけど結構なプレッシャーになっていて、正直しんどかった。なぜ彼はあそこまで仕事を頑張れるのか、そして私は頑張れないのか。「仕事はせなあかん。」「家は守らなあかん。」私は二つの狭間にいるようでいて、実は「家」というものにかなり寄りかかっているような気がして、正直自分がどうしたらよいのかよくわからない。もっと全体の力を抜いて上手にできたらいいのにな。ただ一つはっきりと言えるのは、やっぱり私は家族といる時間が一番しあわせだということ。それは何が何でも譲れない。それがなくなったら仕事もできん。夫ともお互い仕事が一段落ついたらお酒でも飲みながら、いろんなことをゆっくりと話したい。

昼からは朝からの霧が晴れたので、子どもたちと散歩がてら近くのお寺に紅葉を見に出かける。よい時間。こんな時間はほんとうにしあわせ。子どもたちと力餅食べてそのまま三橋節子さんの美術館にてくてくと。前から行きたかった美術館に、やっと行けてよかった。母親の慈愛みたいなものが固まってできたような美術館。
子どもを慈しむ母親としての私も、母に慈しまれている子どもとしての私も、どちらも本当の私。おかあさーん、て言いながら私もいつまでも母の懐に入っていたい、そのくせ自分の子どもたちも懐に入れて抱きしめていたい。なんて贅沢な!でも母親という立場はそれくらい私にとっては大切。どんなことがあっても譲れない、美術館を訪れてますますそんな風に思う。