今日はさすがに自分の感情のコントロールができなくって参った。心臓のところから何かが飛び出して、その物質はそのまま私の様々な血管を流れ脳まで届いて、私のこめかみの部分を疼かせた。
私は、2月に入ってから仕事で大きな事業を抱えていたのだけれど、さらに不測の事態が重ねて起こった。仕事の終わる時間は遅く、時計の針が12時を回ることもしばしば。朝は朝で中学校の弁当や晩御飯も作って出ないといけない。そしてそれに重なるように娘たちの学校ではインフルエンザが流行し、お決まりのように娘たちも罹患した。夫は出張だし、私は仕事休めへんし、パニックになりそうな頭をなだめて娘たちを病院に連れて行く。ただ、子どもってものはこんな不測の事態に限って親を試すように熱を出すものだ。しばらくの間は腹をくくって、私はすべての仕事を投げ打ってでも彼女らについていないといけない、またついていないとかえって病気を長引かせたすることになる、と自分に言い聞かせながら、発熱で赤くなった子どもの寝顔をしばらく眺めていたり、嘔吐したシーツをかいがいしく消毒したり、洗濯したり、おかゆを作ったりしてあげる。そんなこんなしていると、しばらくして状況が少し良くなったときに子どもの方から「お母さん、私大丈夫だしお仕事行ってきて。」と言ってくれるものだ。もう中学生や6年生だから、状況を理解してくれている。「何かあれば母さんすぐに帰ってくるからね、電話してね!」と娘の枕元に受話器を置いて仕事に出かける。それから数時間は頭がしびれるんじゃないかと思うほど仕事に集中し、短い時間に最も効率よく仕事をやりくりして何らかの目処をつける。私の職場はいろんな事案が飛び込みで入ってくるので、自分のペースで計画的にやる仕事以外に余計にこんなことが多い。
家人もいま非常に忙しい。それは私だってわかってる。私はばたばたの1、2週間から最後の休日出勤の昨日を抜け出てほっとし、今日は子どものバスケ当番に駆り出される。7時半から凍えそうな体育館に缶詰めでじっと4時間。凍えそうになって帰ってきたお昼の二時に、「昼ごはんは何〜?」って家人に寄ってこられるとさすがに悲しくなる。朝ごはんのお茶碗もそのまま、お布団もそのままだし、洗濯もしてない。でも家人をそんな風にしてしまった責任は自分にもあるから、逆に何も言えない。言い出したらきりがない。たまった新聞紙もそのまま、ペットボトルもそのまま。私が処理しなければそのまま家のベランダはそれらで溢れ返るのかもしれない。むしろそうなるくらいまで放っておくぐらいの我慢が私には必要なのかもしれない。私はいろんな指示を出してまで家の中のことを家族にやってほしいとは思わない。やれる人がやったらいいと思うし、自分がやれるときは進んでやろうと思う。でも私がやれない時くらいは、他の家族が自発的に家のことを考えてやってくれてもいいのにな、と思う。いくら重要な会議を月曜に控えていたとしても、それらに費やす時間なんて知れたものだ。ジョギングに出かけて山のような洗濯物を排出するくらいなら、よっぽど効率的だ。また、そんな風に考えてしまう自分が醜くていやだ。それなのに家人はドラッカーの言葉を引用して、「自分のやる必要のない仕事(だれか代わりにできる仕事)だったら家庭においても、職場においてもあなたは捨てていくべきだ。」なんて言う。そして自分がやった方が早いと判断したら他の人に指示出すことを面倒臭く感じて自分でやってしまうYさん(私のこと)は、ずっと今の状態から抜け出せないよ、なんていう。それなのに忙しい私のことをとても心配しているとも言う。ネガティブな闇の中に追いやられそうな私は、時々ちんぷんかんぷんになる。今日のお昼はしばらく混乱して、寒すぎて、疲れて、しばらくマンションのだれも来ない階段に逃げ込んでひっそり泣いた。
泣いてる最中に今度はあいつから電話。内容は、昨日から熱があって、無性にしんどい。明日仕事に来られないかも。一人でしんどくて寂しくて心細くて電話した、とのこと。ふーん、病院行きなよ。食べ物とか飲み物あるの?と聞いてしまう私。やっぱり私に問題があるのだな。家族だけでも手一杯なのに、わたし、あなたまで面倒見られません。
愚痴愚痴言うのは今日だけにする。