朝から湖の水面がキラキラして美しい。
彼方の山頂にあった白い雪の部分が少しずつ消えて、やっと春らしい生ぬるい風が吹いてきた。


4月から新しいメンバーでの仕事が始まり、思いがけない重要なポストに昇格して、窮屈な毎日。昨年度に引き続き驚くべき高学歴の新人さんのOJT担当にもなってしまい、ルーチンワークがにっちもさっちもいかなくなる。今年度は本格的な再就職から6年目の年。少しずつだけど良くも悪くも私は変わった。


昨日帰宅すると六年生になった二女が自分のスピーチを聞いて欲しいと言ってきた。保健委員になりたいけれど、保健委員3人の枠に5人が殺到したため、委員希望者はマニュフェストみたいなものをスピーチし、より多くのクラスメンバーの賛同を集めた人が委員になれるのだとか。


二女はどちらかというと内弁慶で、授業中答えがわかっていても手を挙げない典型的な引っ込み思案タイプ。大丈夫かな、スピーチはどんな内容かなと聞いていると、まずは保健委員になりたい理由、次に保健委員になったときにどんな仕事がしたいかを言っていた。続けて、保健委員になれたら委員長になりたい、私はこれまで人前で話すのが苦手だったけれど、これからそんな自分を努力して変え、人の前でもハキハキと話して低学年の子らに頼られる存在になりたい、という内容を言っていたのでびっくりした。彼女がそんな風に自分を変えたいなんて思っていたなんて。

今日帰宅後結果を聞いてみると、無事保健委員になれた様子。顔が活き活きしている。委員長にもなれたらいいね。

人間は流動的に変わっていくし、まじめに悔いなく毎日を生きていれば自ずと進化していくものだと私は思いたい。そして、肉体は年とともに衰えても、むしろそれと逆行するように精神は研ぎ澄まされ、感情は重厚になっていくものと思いたい。

キリンジが終わりになったのに、結局最後の大阪公演も仕事で行けなかったからか、今頃大きな喪失感に苛まれている。キリンジの曲も流動的に時間の経過とともに良くも悪くも変わったし、兄弟の関係性も変わったというだけのこと。しょうがないのだと自分に言い聞かせる。でも、泰行氏が歌う兄曲が好きだった身としては、今後それが聴けなくなると思うと寂しい。ファンはいつでも欲深いのだよ。

私の中でのキリンジベストテイクは2003年のライブで聴いた「耳をうずめて」
2002年、2003年ころの泰行氏の声は、声帯が滑らかなベルベットでできてるのでは?なんて思わせるほど艶があった。今の声とはまた少し違う魅力だった。この頃、私も泰行氏も30歳、一番いい時期だったのだろう。
でも40になった今でも、なあなあな毎日送ってても、私はこの曲聴くと胸がきゅんと苦しくなって、せつなチャンネルが入るのだよ。ああ。