気がついたら8月。いろいろなことが周りで起こり、日々は慌しく過ぎていくけれど、自分の境遇は、良くも悪くも変わらず。ただただ、目を閉じて、今年も帰れない故郷の夏休みの風景に思いをはせる。あの頃は夏休みも退屈で長かった。緑色に燃える山、轟音で鳴く蝉、ゴザの上での昼寝、イ草の匂い、扇風機の音、おやつに食べるトマト・・・
先日、柴崎友香さんが芥川賞を受賞されての新聞記事が好きで、スクラップした。

ある建物取り壊され、新しい建物が完成すれば、元の風景は失われる。しかし、私の記憶の中には、その場所がある。
 目の前で会話をしている誰かにも、それぞれの記憶の場所があるだろう。それまでに住んだ場所や、思い出の場所を、心の中に抱えて暮らしている。わたしには見えないその場所を、見てみたい、とよく思う。その場所を思う人の強い気持ちに、長い時間を変えて場所に積み重なった大勢の記憶に、何とか触れることは可能だろうか。
 それが、私が小説を書く動機の一つなのは間違いなく・・・(略)

この記事を読んで、自分が保坂さんの「この人の閾」を読んだときに似た感覚を味わったことを思い出す。人々の思考の中に存在する風景や考え方などは、死んでしまえば、それは屍とともに焼かれて何もなくなってしまう。
本が読みたい。そして、仕事以外のことで無駄に思考したい。