怒涛の一週間。暑さも、仕事も、プライベートも。不死身の私もさすがにこの忙しさにげんなりしていて、今朝は6時半に起きてもしばらく動けずキッチンに立ち尽くす。まあ、ぼんやりしている暇も無いので気合入れとばかりに、薬頼み。気休めとは思うけれど貰い物のマルチビタミンのタブとCoQ-10のカプセルを容赦なく口の中に放り込む。よーし!母さんは元気なのだ、と思い込んで活動開始。
なんだかなあ。今週は人々の痛みを共有してあげすぎた。そのせいでこの頃の私はこんなに疲れてるんだ、きっと。仕事場、ボランティア、プライベート、どの場面においても今の私はそういう痛みを共有してあげないといけない立場にあるのだけれど、痛みを共有するということはもちろんその人の痛みの一部を肩代わりしてあげるということを意味していて、ホンの少しずつ肩代わりしてあげたつもりの他人の痛みが積もり積もって今私の中を覆いつくしている。まあ普段は、ビール飲んで一晩寝れば綺麗にそれも消化してしまう便利屋の私なのだけれどさすがに量が多すぎ・・・。それに拍車をかけるように夜は仕事がらみの勉強会。明日は小学校の運動会で、弁当作りが控えている。もう寝よう。
今日の音楽もキリンジの「冠水橋」。こればかり聴いて先週の夜を思い出して余韻に浸っている。現実逃避だなあ。CDとはまた違う味わいだったこの曲を思い出しては、胸がぎゅーっと締め付けられる想い。磔磔という狭い閉ざされた空間でどんどん高まっていく内圧みたいなものが濃縮されてたファルセット部分の演奏。そしてだんだんその音やらオーディエンスやらから発せられたエネルギーがあの空間に収まりきらず弾けてしまう瞬間、私は呆けたようになって立ち尽くすしかなくって。そのときに、川の水がさらさらと流れるように耳に入ってくる美しいAメロの声に私はふかくふかく溜息をつく。あの瞬間はそれはそれは幸せだった。それは少し男女の行為の後の瞬間に似ているなあと気付いたのはついさっき。