耳をうずめて (キリンジ「47’45”」より)

もうすぐ4月になるというのにもかかわらず肌寒い今日。ここ数日の疲れからかちょっと欝な一日だった。こんな日の私の鼻歌はもっぱら「耳をうずめて」。

穏やかな美しい旋律にのって歌われる堀込高樹の詩は、その旋律が穏やかであればある程、余計にぶつけどころのない若さゆえの情熱を煮えたぎらせているようでもいて。

祈りにも似ていた恋人の名前も今は
遠い響きを残して消えたよ
いそしぎの護岸に耳をうずめていたのさ
「憂鬱はまさにそう凪いだ情熱だ」
鈍色に暮れる冷たい心で何を感じる
僕は音楽に愛されてる? そう思うのか

自信に満ち溢れる自らの作品を受け入れてもらえない悔しさ、焦り、何を信じて良いのか、自分が何を求めているのか、目指すものが音楽であろうが違うものであろうが、そういった迷いの時期は誰にでも訪れる。そういった切ない気持ちが痛いほど私の心に刺さる。

仮初めの馴れ初めににわかに色めきたつよ
小糠雨に疲れた通りが
その胸のたわみに耳をうずめて聴くのさ
邪な二つの魂の静けさを
鈍色に暮れる冷たい心の目当ては君さ
僕ら音楽に愛されてる そう思うのか

鈍色(にびいろ)、小糠雨(こぬかあめ)といった、モノクロームな世界に少しずつ色がつき始める。「僕は音楽に愛されてる?」から「僕ら音楽に愛されてる」「二人でブギを弾く」に変わり始める。若さ特有の根拠のない自信に満ち溢れた独りよがりの世界から、理解者を得ることで世界に色がつき始める。この場合、理解者が一緒に音楽をやっている弟なのか、恋人なのか、それともどちら共に架けているのか、私には解らないけれど。

僕ら息の根をまさぐるんだ 握る葦と 羽毛の轟音 固有の鼻歌

懸命にたゆまぬ努力で紡ぎだす音楽も、あたかも鼻歌のように簡単に出来てしまったかのように強がるところ。でも、ただの鼻歌じゃなくって、「固有の鼻歌」ってところにこだわるところが、また、堀込高樹らしくていいな、と思う。

そして、その詞世界の美しさ。まるで、ドキュメント映画のワンシーンを見てるかのようだ。
朝靄に包まれた湖。朝陽が当たり始めて白金色になる湖面。聴こえるのは水鳥たちの羽毛の擦れ合う音だけ。

2003年のツアーのラストにこれを聴けたときは、不覚にも涙がこぼれた。雑踏の中にいるのにもかかわらず、まるで湖岸に一人たたずんで、その美しい景色を前にしているような錯覚に陥った。

ここ数日、弟・堀込泰行のソロユニット名で賛否両論が繰り広げられてるけど、それはそれで、彼らしくていいかなあ・・・なんてニヤついてしまう。いつまでも彼らにしか作れない音楽を作ってくれるのであれば。