ゴールデンウイークは、出張に出かけた夫が、抗がん剤治療をしている父を見舞いたいとそのまま帰省したので、家を空けられない用事のある私と娘たちでゆっくり自宅ですごした。といっても、娘たちは朝から晩まで部活の練習試合が3日間は入っていたし、私は私で朝5時から仕事の緊急電話が入って一日を棒に振ったりして、いつもとたいして変わらない日々だった。
唯一お休みらしかったことといえば、近所のファミレスで晩御飯を食べた後、娘たちと夕暮れの湖岸を散歩したこと。娘たちとの何気ないひと時に、とても癒された。
屈託のない笑顔、じゃれあう姉と妹。彼女らも受験や、部活、友達関係などでいろいろとあるのだろうけれど、家族と過ごすときは本当にリラックスしているのが顔色でわかる。
いい連休だった。


新緑が美しい季節。桜が散ったと思ったら、ハナミズキが満開。緑の中に沢山の白い蝶やピンクの蝶がとまって、羽を休めているように見えるこの木が好き。
先日はあまりにも天気がよかったので、夫と二女と裏山から大文字山までトレッキング。最近ジョギングを再開しているので、トレッキングというよりトレイルランニングに近いペースで登る。元来家族全員せっかちな性格なので、ついつい山道を走りぬけてしまう。ほんの2時間程度で哲学の道に到着。観光客の多さは覚悟していたけれど、さすがに凄いにぎわいだった。心の洗濯。汗と一緒に体にたまった澱を流し出してしまいたい。
4月から、仕事の精神的なストレスからはずい分と解放された。前のグループメンバーは少し愛情に飢えているというか、嫉妬心の塊みたいなところがあったので。歓送迎会等で再会すると、今の私の姿を見て寂しく思うとのこと。複数のグループメンバーから「僕らがIさん(私のこと)に苦労をかけてたんだなと気づいた。」と言われた。先日も歓送迎会のあと、久しぶりに言葉を交わした前のグループメンバーの一人にふいに抱き着かれて泣かれた。振り切って帰っては来たけれど、その後たたみかけるようにメッセージが送られてきて、私はそんな気持ち受け止められないと思いながら、軽く交わした。
夜中ふいに見たくなった「息もできない」。何度も見ているのに、見たくなる映画。夜中の川端でサンフンとヨニがそれぞれの痛みを分かち合って泣くシーンが大好き。二人それぞれの心の叫びが伝わるこの
シーンは、これまで私たちが共有してきた様々な心情を映し出しているようで胸が張り裂けそうだ。さよなら。

息もできない [DVD]

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桜の季節。下の娘も小学校を卒業し、昨日は中学校の入学式。いい天気なので、中三の長女と二女と桜の下で記念撮影。セーラー服をきた女の子二人が、キャッキャいいながら桜の周りで戯れる風景はいいね。心も体も健やかな中学時代をすごしてください。母はがんばって弁当作ります。
母も環境が大きく変化した。これまで理系の男子クラス状態みたいな男臭い職場だったのだけれど、今年は人事異動がずいぶんあって、一変して男女半々の職場に。私は居残り組となったので、まだまだ新しく移動してきた人々のサポートにてんてこまいしているけれど、精神的にほんとうに楽になった。職場で同僚や後輩に、配偶者や母親的な立場を求められることは、正直しんどかったので。最後の1〜2ヶ月なんて、ほんとうに消耗した。
夜に夫と白ワインで祝杯をあげる。これからは安寧な毎日が訪れますように。写真は近所の疎水端のさくら。ほんとうにきれい。
この季節は決まって畠山美由紀ちゃんの「春の気配」を口ずさみながら自転車をこいでしまう。

chihiryou2014-03-15

なかなか暖かくなってこない3月。霜焼けがやっと治ったと思ったら、またできるの繰り返し。帰り道にまだまだミゾレ交じりの雨が降ったり。そんな日に限って自転車のチェーンがはずれて家まで自転車をおしながらかえる夜中0時半。しばらく薄暗い電灯の下でチェーンをつけようとしていると、背後から「手伝いましょうか」と声をかけられたので、どっきりして「大丈夫です!」返答。何をしているのだか。
2月末には出張で生まれて初めて和歌山市を訪れた。遠い〜。しかし車窓から見える風景が、故郷の風景に似ているようで、長い間眺めていた。私は小学校のとき文部省唱歌の「冬景色」が好きな変わった子だったのだけど、2番の歌詞が故郷の田園風景を歌っているようだからかな〜なんて、今更ながら思った。

烏(からす)啼(な)きて 木に高く
人は畑(はた)に 麦を踏む
げに小春日の のどけしや
かへり咲(ざき)の 花も見ゆ

3月には岡山市に3日間の出張にも出かけた。岡山市も初めて。
出会った人に恵まれて、楽しい3日間。夜の街でうっかり職員証の入った名刺入れを落としてしまい、青い顔をしていたら、交番から届けられていますよ〜との電話。中身もきれいなままそのまま返ってきた。関西ではありえないだろう。ありがとうございました。無事返ってきた名刺入れを今度は落とさないように懐に深くしまって、親切な岡山の方に「ままかり」「鰆のお刺身」等の名物をご馳走になった。日常の職場がここのところ大変荒んでいるので、心が洗われるようだった。

今週は下の娘の小学校の卒業式。上の娘の通った期間を入れると8年間、小学校にお世話になったことになる。子どもたちの成長はあっという間のようだけど、積み重ねた一つ一つの日は重くて、いろんな思いが詰まっている。
昨日は夕暮れ時、湖岸に下の娘とジョギングに出かけたのだけれど、晴れ渡った空に少しだけ欠けたお月様がぽっかり出ていて、湖面を黄金色に照らしていた。あまりにもきれいで娘としばらく眺めていた。しんどいこともあるけれど、こんなささやかで幸せな毎日が少しずつ重なり合って日々はでき上がっている。それはきっと彼女も同じだろう。学校から持ち帰ってきた作品のひとつに、「楽しみは、ベランダで母と夜見るゆれるひかり」と筆書きされた彼女の俳句があった。母さんも同じだよ。

2月。おとといの出勤時にみた湖は、白くて深いふかい霧に覆われていて、生ぬるい熱を持った生き物のようだった。かと思うと、今朝の出勤時にみた湖は、きんきんに冷えてて、今にも凍りそう。白い粉雪が水面に落ちても、しばらくは粉雪のまま漂っているかのような冷たさだった。暖かさと、冷たさをあとどれくらい繰り返したら、春が来るのかな。
1月は大きな事件があって、年末年始もなく働いた。どうしてこんな職業を選んじゃったんだろうね、とかいいながら、冷え切った職場を暖めるべく倉庫から引っ張り出してきたストーブで暖をとりながら、メンバーと片寄せあってこなす仕事もそれはそれで嫌いではない。
1月中旬から、ついにチームリーダーになってしまって、困っている。仕事よりも、お母さん的な立場でチーム員のマネージメントしないといけなくなってしまって、夫からあきれられている。仕事問題だけではなく、みんなの家庭問題から結婚にいたるまでの相談、彼女と別れた寂しさを紛らすために夜な夜な入るライン、電話に付き合う…私はどこまでみんなの力になってあげたらいいのだろう。甘やかしすぎかな、なんて思うけれど、みんなの心に生まれた澱みたいなものの受け皿がどこにもなかったら、彼らはどうなるんだろう。仕事場だし、私的な感情流入は困る、割り切って仕事して!なんてやったほうがいいのかな、なんていろいろ考える。結構ストレスの係る仕事なので、ついつい独り者の彼らのことを心配してしまう。でも、今日くらいからかな、みんなの気持ちが少しは和らいで、仕事に身が入ってくれているような気がしてきた。子育てに似てる。前進したり、後退したりしながら、結果的に少しでも前進していたらいいな。春よ来い!

あっという間に師走。
そして今日は娘の14歳の誕生日。学期末面談や平日に片づけたいこともあったので、久々におやすみをとる。ケーキなんか焼いて、夜のごちそうの下ごしらえなんて、久々にお母さんらしいことをやってみる。
こんなにゆったりとした時間を過ごしていく道だってあったのに、私はどこをどう間違って今こんなに忙しい毎日を暮らしているのだろう。有給休暇を40日近くも残したまま今年も終わってしまうよ。
ところで娘は14歳。ダッフルコートに白いマフラーぐるぐる巻きであわてて学校に出かける様は、能年ちゃんによく似てる。学校でもたびたび言われるのだそう。動きや服の趣味、そして何よりも幼い雰囲気が…。
 面談では担任の教師に、一年後の受験を見据えたスタートを切るよう言われる。目標受験校もそろそろ絞っていくようにと。先日も、受験候補となる高校の見学会に親子して参加してきたのだけれど、時が経つのは早いなあと思った。娘が高校時代を過ごす人になるなんて。そして、今の高校って大学みたいで驚いた。大学と連携した授業があったり、一年かけて論文書いて英語でプレゼンしたりと、勉強しながら他にもいろいろカリキュラムが用意されている。プレゼン能力をつけさせるための授業がたっぷりで驚いた。教室を見学してまわると懐かしいにおい、男子が多い学校特有の学生服に汗がしみ込んだ匂いがした。グランドではラグビー部がタックルの練習を盛んにやっている。私自身が高校時代、1クラス45人中女子7人、しかもラグビー部だらけのクラスで2年間過ごしたので、この匂いを鼻が憶えている。そして娘がもうすぐそういう時期を迎えるという事実に驚愕する。どおりで私も歳をとるわけだ。あの時代から25年も経っている。
 忙しい忙しいと愚痴をこぼす前に、私はそれだけの年月を経て経験豊かな人になって、周りに提示できるようになってなきゃいけないのに、全然駄目だと思う。今の私は、ペースに変化をきたさない、許容範囲が広いだけの人になってしまってる。ないものねだりではなくって、変わらないと、私も、周りの人もいい加減きついよなあ。
ああ、いやな日記の終わり方。

夫の職場の一つ上の先輩Tさんがたったひとりで死んだ。朝に心臓が止まっていたとの事だった。43歳だった。
T先輩と私が同郷というのもあってか、子どもが産まれるまで夫と三人でよく遊んだ。子どもが生まれてからは、週末魚釣りに出かける先輩からきまって連絡が入り、包丁を研ぎ、大漁にあやかるのが日課になっていた。
賢くって理屈っぽいところ、九州男児の血の匂いがプンプンするところがあったから、限られた人との付き合いしかなかったけれど、私たちはなぜか三人で仲良くやってた。ついこのあいだの正月だって大人三人で贅沢をしようと、Tさん行きつけの祇園のお料理屋さんに行って新年のお祝いをしたところだったのに。こんな運命が待ち構えていたから、Tさんは家族も持たず、好き勝手にやってたのかな、なんて夫と話す。
お葬式のために熊本に出かけた夫がもうすぐ帰宅する。子どもたちは、「お父さん、出張?」なんて聞くから、「ちがう、Tさんのお葬式!」というとぽかんとしていた。「え?あのTさんが死ぬはずないやん!」なんていうから、今頃もうTさんは焼かれて灰になってしまてるんだと子どもたちに伝えながら、ああ、そうか、彼はもうほんとうに灰になってしまったんだ、と私自身、初めて彼の死を実感する。
これからの私はどのように毎日過ごしていくべきなのか、考えこんでしまう。