年度末の週末だと言うのに、娘たちは各々部活やら、友だちとのおでかけやらで不在。夫とまったり家の片付けにいそしんだ。そして日がしっかりと落ちないうちから、ワイン片手に二女の今後のことを二人で語り合う。最近私たち夫婦の目下の悩みは、二女の今後のことなのだ。
自分がどう見られるか意識していない頃の彼女は、勇ましくてかたくなでいて、頭の回転が速い子だったのに、周りからの評価や視線が彼女を少しずつ少しずつ変えていってしまって、いまや牙を抜かれた虎みたいな状態。周りをすごく気にするいわゆるいい子に育ってしまった。自分を出さないことに徹底しすぎている。14歳思春期真っ只中の彼女の心の中は、表面からは想像のつかないことがあふれているのだろう。
そんなこんなしているうちに、二女が部活から返ってくる。ものすごい食べっぷりと、シューズが小さくて足が痛い(25センチ!)からシューズ買ってほしいという話を聞きながら、いつもの食卓。
友だちと遊園地にお別れ旅行に行った長女からLINEがくる。どしゃぶりの中遊園地に出かけていった彼女から、「晴れてきた〜♪今からジェットコースター乗ります!」送られてきた写真はなかなかいい感じ。
こうして年度末の週末も暮れてゆく。

春、はる、ハル!
一緒に駅まで歩く長女が、「お母さん、お母さんの好きな春の匂いがしてきたね。」というので深く息を吸い込むと、どこからか沈丁花のにおい。「ほんとだね。今度こそ春が来るのかな?」なんて返事をしながら、二人で4月から始まる新しい生活のことを話す。志望高校に無事合格した娘は、いよいよ4月から電車通学を始めることになる。それなのに今朝も、「塾に行って友達とおしゃべりした夢見たー」「○○くんと、○○ちゃんと一緒におしゃべりしながら塾から帰る夢見たー」なんて言って起きてくる娘は、完全に塾ロス症候群。合格したのも束の間、すぐにでも塾に行って友達とおしゃべりしたいのだそう。LINEだけでのやり取りでは、物足りないよーとのこと。しんどかった分、塾の仲間たちと一緒に楽しい受験勉強生活が送れたのだろう。
母親である私は、1月から3月初旬にかけて仕事がひどく忙しく、土日出勤はあたりまえ、23時くらいに帰宅する日々が続き、家人から労働基準監督署に届け出ねば!などと言われながら過ごす冬だった。娘の受験のために生活を朝型に整えるとか、夜食を準備して風邪をひかないように部屋を暖めておくなど、一般的な母親が受験生にしてあげるようなことは一つもできていなくって、家人にも呆れられていたのだけれど、かえってそのことが彼女の自立を促したり、変なプレッシャーかけずにすんだのかな、なんて思ったり。結果オーライなのだ。
最近の私は家人との長距離ジョギングにはまっている。これから娘たちが成長すると、こうして家人と二人で過ごす時間はどんどん長くなるのだろうな。二人で20キロだらだらとおしゃべりしながら湖岸から川べりを走る。湖岸で砂を蹴りながらラグビーボールを追いかける男子高校生の軍団、漕艇場で船を川面に浮かべる漕艇部の高校生、大学生たちを眺めながら、家人と私が出会った年頃の人たちがいつの間にか私たちの子どもほどの年頃になっていることに気づく。二人して「若いってそれだけで、素晴らしいね。」なんて老夫婦みたいな会話をしながら、だらだらと走る週末。それはそれでいいもんなのだ。

とぎれとぎれではあったけれど、この日記を始めて10年が経過してた!始めたころの私の日々は、退屈でおもしろくもないと思っていたけれど、今となると、あのころはなんて子どもたちと素敵な日々を過ごしていたんだろう!なんて思う。でもでも、今の毎日もそれはそれで面白いのだ。

びっくりするくらい足早に過ぎていった2014年、12月。
12月に入って、1年間闘病してきた義父が危篤状態になり、一家で慌しく博多へいったりきたり。この間まで、九州男児気質全開で「病人じゃなか!見舞いなんか来んでよか!」と言っていた義父が、再会したとたん、小さくなって棺の中に納められていたので、彼の死を現実としてとらえるまでにしばらく時間がかかった。一年先の人の人生分かったものじゃないな、いやいや、明日だって分かったものじゃないよな、なんて思う。
先日高野寛氏のライブに行った後、彼のFBチェックしたりしてたのだけれど、博多でのライブは義父が入院していたホスピスのすぐ裏にあるライブハウスで、ちょうどライブのある日に義父は危篤状態に陥ったのだった。「静」と「動」、「生」と「死」はいつも隣り合わせだとは分かっているけれど、私が15年ぶりにライブに出かけてエネルギーをもらった人と、義父がすごく接近した場所にいて、同じ夜に180度逆の方向を向いて生と死に向かって各々エネルギーを発散していたのだと思うと、不思議な気がして、何か因果があるような気がした。つまり、私はずいぶん年老いてきたけれど、生のほうにエネルギーを発して向かうポジションにいる人で、まだ死に向かっていくポジションにはなりたくてもなれないのだと認識させられた。
一年間、事故も病気もなく、毎日ビールが美味しい。まだまだ、私は死ねないし、子どもたちが大人になるのを見届けるまでは死ぬべきではないのだ。新しい年をすぐ前にして、そう思う。

秋晴れの3連休。
朝から大量の洗濯や家族の布団を干し、掃除機をかけて、ゆっくりコーヒーを淹れる。コーヒーをすすりながら新聞を読めば、もうお昼ご飯の準備をする時間。ウィークデイの疲れはルーチンワークをこなしながら、こうして少しずつほぐれていく。部屋に差し込む湖面の反射光が眩しくて気持ちいい。
昨日は晩御飯を早々に作り、博多百年蔵で見て以来15年位ぶりかな?高野寛さんのライブに出かけた。ほんとにほんとうに、いいライブだった。
「夜の海を走って月を見た」を聴いて、涙が出そうになる。高校生の時に好きで聴いていた曲は、42歳になった私の心も震わせる。夜の深い淵に沈んでいくような感覚。もう、身軽だったあの頃にはもどれないんだな〜なんて私の25年間が頭の中でぐるぐる回った。
「On & On (& On)」も久々聴くと、本当にやさしい、いい曲。うん、うまくいくことばかりではないけれど、目の前の毎日をそれなりにやりすごしていこう。
他にも懐かしい曲がたくさん演奏された。やわらかく、丸いギターの音色。
高野さんも、いろんなことがあったんだろうな。25年前初めて彼を見た高校生の私は、彼のかわいらしいルックスと尖がってて媚びない感じのギャップが素敵だと思ってた。音もピリッとしてて、ストイックな作り込むイメージ。それが「TRIO」での歌声は肩肘張ってなくって、ギターの音も声もやわらかい。終演後は「TRIO」にサインいただいて、昔行った百年蔵のときの話をしたりして、高野さんに握手してもらった。本当に夢のような夜。
うっとりとして帰ると、台所には大量の食器が。現実はこんなもの。さっさと食洗機に食器類を放り込み、湯船に浸かりながら余韻に浸る。歳を重ねることで捨てるものもあるけれど、得るものもある。50歳になるというのに、少年のような高野さんのごつごつした手の感触を思い出しながら、私も後悔のないように毎日を重ねていこうと思った。

TRIO

TRIO

秋真っ盛り。毎年そうなのだけれど、10月はとても駆け足で過ぎていく。イベントが多くて、休日出勤も多くてヘトヘト。この間娘たちの合唱コンクールの歌声に感動していたと思ったら、それからもうゆうに一ヶ月を過ぎて、学校は受験一色になっている。卒業式に歌う曲も決まったとのこと。母さんはあなたの受験のために何をすることもできないけれど、せめてお仕事と、お休みの日においしいご飯を作ることくらいを頑張るよ。なかなか思ったような点数がとれなくて悶々としてるお姉さんだけど、友だちと足繁く塾だの図書館だのと通って、頑張ってはります。「お母さん、私頑張るし信じてね。」という力強い言葉を信じて、春を待つことにする。
      

休日に朝刊をゆっくり眺めていてびっくり。キリンジの高樹さんが、京都についての思い入れを語る記事が載っている。娘が先に発見して、「お兄ちゃん結構いい感じにオジサンになったね。」だって。娘たちと行ったことのある「ソワレ」や「イノダコーヒー」の記事を見て、「ああ、あの青い店ね、昭和っぽい…」「ああ、あの甘いコーヒーのお店ね」なんて会話が娘たちの間で飛び交う。磔磔のライブなんて、忙しすぎてすっかり忘れていた。記事の写真の、高樹さんの後ろにさりげなく、でも少し意識しながらちらっと写っている千ヶ崎さんに萌える。
最近「早春」をよく聴いている。今さらなのだけれど、この曲の歌詞は素晴らしいと思う。キリンジ脱退前の泰行さんの弟ならではのやんちゃっぷり、それをやさしく見守る兄、独り立ちしたい弟のもどかしさって構図がよく表れている歌詞だと思う。私にはよくわからないけれど、きっと男兄弟の世界にはどうにもならない男同志の力関係が働くのだろう。また、私は泰行氏の声で歌われる「〜するのかい?」「〜のふりかな?」といったようなやさしく咎めるような、それでいて相手を受け入れるような声色にやられてしまう。この歌に冨田さんのアレンジとは、なんて贅沢な一品!
寒い冬を越さなければ、雪解けの春は来ないのだ。

雪の下には春だぜ
前足で探る君よ
枝をくぐり 川を走れ
山が光っているだろう

ぬかる道で躍るのかい
尻尾が千切れそう
遠くで呼んでいる

wake up wake up wake up wake up
ヒバリ ツグミ オオルリ ウグイス
wake up wake up wake up wake up
キジが鳴いた ツバメは見たか

東の風 待ちわびて
石を投げる日々
足もとをごらんよ

wake up wake up wake up wake up
スミレ ナズナ アザミ ハルジオン
wake up wake up wake up wake up
ウメは咲いた サクラはまだか

気が付いたら夏は過ぎ去り、秋真っ盛り。自分でいうのもなんだけれど、最近はオンとオフの切り替えがはっきりできるようになった。40越えても人間ちゃんと成長できるのだ。
子どもたちがやれ部活や塾、夕飯、弁当、と用事があるので、私も小刻みな自由時間しか持てないのだけれど、最近は夫とトレイルランもどきにはまっている。はたから見ると滑稽かもしれないけれど、ひたすら急いで山に登り降りる作業。登山本に設定されている時間の約半分の時間で山を登り降りする目標をたてて、夫婦で黙々と歩く。会話を楽しむ訳でもなく、頂上からの景色を眺めてのお弁当を楽しむ訳でもなく。ただただお互いに合わせているわけではないのに合ってしまう歩きのテンポに安心感を得ている。ストレスフリー。
先日「めぐりあわせのお弁当」を観る。あんまりよくて、映画好きの友達に観るようにとメールしてしまった。男性の弱さからくる優しさに私はいつもノックアウトされてしまう。きゅんきゅんしてしまったよ。よく思い出せないけれど、「ONCE ダブリンの街角で」という映画を見たときの感触に似ていると思った。もう一度観に行きたい。

遅れたお盆休みをとって、先週は娘の高校体験入学に行った。
娘さんは「お母さん、一緒に行こうよ〜」と言ってたくせに、高校では私に一目もくれず、まったく別行動。私が彼女の姿を見つけ話しかけようものなら、すごく迷惑そうな顔をしていた。よしよし、健全な思春期の少女に育っている。恋人同士のように上履きの用意からお母ちゃんにやってもらい、終始お母ちゃんと一緒に見学している男子生徒よりよっぽど普通だと思った(結構多いの…びっくり!)。
2校参加したのだけれど、各高校とも良い感じだった。SSHやらSGH等聞き慣れない語句や、国内、海外大学、企業へのインターン制度やらなにやらで、いまどきは公立高校でも何かと進んでいる。へえ・・・。体験授業とやらもあって、娘は数学の授業に参加。見つからないように、こそっと参列したのだけれど、男子が半分以上占めるクラスで、怖そうな数学教師に当てられて答えたり、挙手して発表したりしてて、なんのなんの、娘さん意外と頼もしかった。娘さんは、すっかり志望校を決めて、部活見学までしてきていた。山岳部!?に入るのだそう。
自分の高校時代なんて、ついこの間のような気がするのに、もう娘が高校生活を送るようになるなんて、ちょっとピンとこない。学園祭のビデオなんか見せられて、やってることは自分たちの時代と大して変わっていないのだけれど、みんないい顔してる。自分もこんな顔をしてたのだろうか。
来年の今頃は、娘さんが志望した学校に通えていたらいいな。
木曜日の夜は久しぶりに在宅していたので、popholicさんのラジオ番組を思い出し、やっと聴いてみた。高野寛特集。くるりのベステンダンクが流れてきた。娘の高校体験入学に行った日に、自分が高校時代に聴いていたベステンダンクが違った形で偶然聴けて、なんか嬉しかった。
また、いまヘビーローテーションで聴いているKIRINJIの11にも「だれかさんと だれかさんが」という、放課後の理科室の曲がある。自分の高校時代を顧みたり、娘さんのこれからを思ったり。年を重ねると、いろんな曲を聴くときに私の中のいろんな記憶や想いが呼び起こされる。年をとったという証拠なのかもね。