春ですね〜♪
昨年度は全然日記更新できなかったな・・・といってもこのページを全く開かなかった訳ではなく、途中まで書いては寝落ちすること繰り返し。結局途中まで書いている日記の下書きが随分たまってた(涙)。
お正月明けのある日の日記なんか、下記のとおり。
目まぐるしく余裕がない毎日を送っていて、それなのにその後3週間家を空ける予定があって、随分と不安に駆られている日記。ストレスたまってたんだろうな。

あけましておめでとうございます。
去年はぜーんぜん、日記書けてないな…。毎日一日あったことをアウトプットする時間がなさすぎる。私の過ごす毎日はざっとこんな感じ。
5時50分起床、ご飯のスイッチを入れ、働かない頭でとりあえず味噌汁と弁当用の卵焼きを作る。それから冷蔵庫の中を覗いて、4人分の弁当の献立を考える。たいてい、きんぴらか煮物一品をまず作り、揚げ物又は焼き物の準備に取り掛かる。合間に学校への提出物等をチェック。
6時20分、娘たちが起きてくる。一日のスケジュールの確認。その合間も調理の手は緩めない。娘たちが着替えてる間に、朝ごはんをよそう。
6時50分、間食用のおにぎり(部活の後と塾の合間に食べるおにぎり。娘はコンビニを利用することをあまり好まない…)、弁当の完成。
7時長女出発。晩御飯の支度にとりかかる。
7時15分朝から仕事をしていた夫の朝食。(うちの夫は出張でいないことが多いので、あてにすると悲しくなることが多いのであてにしない。やれることをしてもらうことにしている。)
7時30分夫が食後にコーヒー豆をひくので、お湯を沸かし、コーヒーを淹れる。食後に一杯ずつ飲む以外は、私と夫の水筒に入れる。その後私が朝食をとる。
7時45分夫が出勤。続いて二女も出勤。晩御飯の用意完了すると同時に、食器類を食洗器に放り込む。
8時15分身支度を整えて出勤。
私の帰宅はたいてい21時すぎ。
夫と私で残ったご飯をビールで流し込み、22時ごろ帰宅する娘たちを駅まで迎えに行く。帰り道、娘たちと一日あったことをあれこれ話しながら帰るのが楽しみ。帰宅後は食洗器をかけ、お風呂に入り、洗濯を干すころにはすっかり午前0時を回っている。それからゆっくり歯磨きしながら新聞やテレビを見ながら至福のひと時と思いきや、ウトウトしちゃう毎日。世の働く母たちはどんな風に手を抜いているのだろう。今年が明けて、まだ十日しか経ってないとは思えないほど、先週もがっつり、フルで一週間働いた。

お正月は本当にあっという間。慌ただしく帰省し、例年どおりの九州のお正月。墓参りに母のお節作りの手伝い、初詣に帰省ラッシュにもまれ、娘たちと「帰りたくないよ〜」と叫びながら戻ってくる。

こんな毎日を過ごしているのに、来週から仕事の関係で3週間関東に行かなければならず、困惑している。娘たちが生まれてからこれまで、3週間離れて暮らしたことなんてないので。それに、寄宿舎に入り、学生生活を送らなければならないなんて、とても不安。私の老いぼれ頭でついていけるのだろうか。


実はこの後私は3週間、関東で寄宿舎生活を送った。昼間は講義と課題研究、夜は寄宿舎で仲間や教官たちと宴会の毎日。行く前の不安をよそにとっても楽しい日々だった。
寄宿舎の窓から遠くに見える富士山を朝から拝んだり、会議中に赤坂のタワービルから夕陽をぼんやり眺めたり、仲良しの人とで横浜や日光に行ったり、濃ゆいキャラの人々と楽しかったな〜。あ、メンバーと行った目黒の寄生虫館が一番盛り上がったかも。

その他の日記を見ると、長女の部活のことかディベート大会のことを書いている日が多い。長距離をやっている娘にとっては、秋から冬にかけては駅伝やクロスカントリーのシーズンなので、夫と私も何度か様子を見に行ったのだ。高校駅伝の男子の予選なんかは高校生パワーがぶつかって、見ているこちらも胸が熱くなったなあ。箱根駅伝をみんなが見に行く訳がわかったような気がした。ディベートは「調査捕鯨」やら「移民問題」の問題について、一生懸命娘が調べていたことを思い出す。結構彼女の班は勝ち上がって、いい線行ってたと聞いている。学年の決勝大会を見に行かせてもらったけれど、とても勉強になった。論点整理能力(問題の切り捨てが下手)、冷静で的確な反駁(すぐに熱くなる性格)、必要最小限の言葉量(語りすぎない能力)は自分に不足していると思うので、気を付けていこう。

あとは、夫との二人の時間が増えたことで、二人で出かける時間が増えたことについて書いてたな。冬に夫の腸にポリープが発見されて、しかも悪性だったということもあって(きれいに取り去ったので、問題なしです。)私たちも歳や先のことを意識するようになった。

新年度は春の嵐の中の幕開け!今年度は二女が受験生になるし、長女は高校二年生。長女は、テスト期間中だというのに今日も始発の電車に乗って陸上の記録会に行っている。彼女は、本当に行きたい大学に行けるのだろうか心配だ。今は近畿大会目指して一直線の長距離女子だけれど、努力が何かしら報われますように。私も仕事場で昇格して、立場も少し変わった。自分も少しずつ変わらないとな。いい一年になりますように。

9月も終わり。今日は今日まで消化しないといけない夏休が残っていたので、一日お休み。
午前中はだらだら。BGMかけながらおでんでも仕込もうかなと下ごしらえをしていたら、久々オリジナル・ラヴの「LOVE! LOVE! & LOVE! 」がシャッフルで流れてきて、かっこいー!と腑抜け状態になってしまったので、家事が一段落ついて、90年代オリジナル・ラヴ画像を見まくる。この頃のオリラヴは神がかってる。今は亡き宮田さんのドラムが素敵だ〜。また、田島さんの色気がすごい。引き続きPizzicato Five。あのころの私が出会ってときめいたような曲にこれからの私は出会えるのだろうか。


お昼からはメイク用品が切れそうだったので、百貨店の化粧品売り場へ。念入りなメイクをしない私なので、たまーに買いに行く程度。一度肌にのせた色物はできるだけ伸びがよくて、残る時間が長いものを見つけた結果、一番効率が良いのはシャネルだという結論に至り、10年来使っているのけれど、実はここの売り場や店員さんが苦手。今日は平日で店もすいていて、年配の店員さんが気さくに接してくれたのでよかった。いろいろおしゃべりしておまけをたくさんもらい、アイメイクをしてもらって帰る。ちょっと目の周りをさわってもらっただけだけど、普段自分がしているメイクと違って、表情がずいぶんと変わる。さすがプロ。そんなこんなで、あっという間に休日も終わり。
今夜はオリラヴの音で寝かせた、具だくさんのおでんで家族みんなを迎えることとしよう。

いつ頃くらいからかな?お盆明けくらいだっただろうか。暑くてたまらなくて目覚めていた朝から、窓から入ってくる空気がひんやりつめたくて、鳥肌が立った体にタオルケットを巻きつけて二度寝するような朝になったのは。
今年過ごした夏をぼんやり振り返る。特別なことは何もなかったけれど、今思うとあっという間の、いい夏だった。久しぶり(2年半ぶり!)に故郷に帰って、相変わらずの景色を見ることができた。家族旅行では、みんなの意見が一致した直島に、一泊だけれど滞在できた。ちょっとずつすれ違っていた家族みんなの心の隙間を少しずつ埋められたような夏だった。
娘とおしゃべりしながら歩いた実家付近の土手の風景、汗だくになりながら自転車で駆け降りた直島の坂道の風景、どれも頭に焼き付いている。
ほんとうにいい夏だった。


新学期も連休も瞬く間に過ぎて行って、梅雨入り前の日曜日。ジョギングをしていると、アジサイのつぼみをあちらこちらで見つける。バラの香りもどこからか漂ってくる。晴天の週末もぼちぼち終わりかな。
長女の新生活も軌道に乗ってきて、今日は朝から陸上部の記録会。インターハイも近い。彼女は7年間続けてきたバスケに見切りを付け、高校入学してからは陸上部でミドル競技の選手になった。ミドル競技は同学年に男子しかおらず、男子と一緒に練習しているようで、毎日くたくたで帰ってくる。その練習内容はすごくて、男子と同じペースで40分間走の後、200メートルダッシュ+200メートルジョグを20本やってきたとか、聞いているだけで吐きそうになる。おかげで彼女はとってもジャージの似合う女の子になった。男子の友達もたくさんできたようだ。まあまあ、青春を謳歌してください。そんな長女が先日「お母さん、教科書に村上春樹の『鏡』が載ってたよ。読んで怖くなった。」と差し出すので、私も読み返しながらこわくなる。あ、そうそうと、「高校生のための文章読本」を出してきてあげる。これ、面白いよ。読んでごらん。お母さんも昔読んで、本好きになったところもあるから、と渡す。

高校生のための文章読本

高校生のための文章読本


以前から写真家の植本一子さんの綴る「働けECD」という日記が好きで、単行本好きで読んだり、ブログ読んだりしていたのだけれど、寺尾沙穂さんの映像に関与しておられてびっくり。私の好きな音と映像がつまった一作。心に深く深く入り込む一作。

年度末の週末だと言うのに、娘たちは各々部活やら、友だちとのおでかけやらで不在。夫とまったり家の片付けにいそしんだ。そして日がしっかりと落ちないうちから、ワイン片手に二女の今後のことを二人で語り合う。最近私たち夫婦の目下の悩みは、二女の今後のことなのだ。
自分がどう見られるか意識していない頃の彼女は、勇ましくてかたくなでいて、頭の回転が速い子だったのに、周りからの評価や視線が彼女を少しずつ少しずつ変えていってしまって、いまや牙を抜かれた虎みたいな状態。周りをすごく気にするいわゆるいい子に育ってしまった。自分を出さないことに徹底しすぎている。14歳思春期真っ只中の彼女の心の中は、表面からは想像のつかないことがあふれているのだろう。
そんなこんなしているうちに、二女が部活から返ってくる。ものすごい食べっぷりと、シューズが小さくて足が痛い(25センチ!)からシューズ買ってほしいという話を聞きながら、いつもの食卓。
友だちと遊園地にお別れ旅行に行った長女からLINEがくる。どしゃぶりの中遊園地に出かけていった彼女から、「晴れてきた〜♪今からジェットコースター乗ります!」送られてきた写真はなかなかいい感じ。
こうして年度末の週末も暮れてゆく。

春、はる、ハル!
一緒に駅まで歩く長女が、「お母さん、お母さんの好きな春の匂いがしてきたね。」というので深く息を吸い込むと、どこからか沈丁花のにおい。「ほんとだね。今度こそ春が来るのかな?」なんて返事をしながら、二人で4月から始まる新しい生活のことを話す。志望高校に無事合格した娘は、いよいよ4月から電車通学を始めることになる。それなのに今朝も、「塾に行って友達とおしゃべりした夢見たー」「○○くんと、○○ちゃんと一緒におしゃべりしながら塾から帰る夢見たー」なんて言って起きてくる娘は、完全に塾ロス症候群。合格したのも束の間、すぐにでも塾に行って友達とおしゃべりしたいのだそう。LINEだけでのやり取りでは、物足りないよーとのこと。しんどかった分、塾の仲間たちと一緒に楽しい受験勉強生活が送れたのだろう。
母親である私は、1月から3月初旬にかけて仕事がひどく忙しく、土日出勤はあたりまえ、23時くらいに帰宅する日々が続き、家人から労働基準監督署に届け出ねば!などと言われながら過ごす冬だった。娘の受験のために生活を朝型に整えるとか、夜食を準備して風邪をひかないように部屋を暖めておくなど、一般的な母親が受験生にしてあげるようなことは一つもできていなくって、家人にも呆れられていたのだけれど、かえってそのことが彼女の自立を促したり、変なプレッシャーかけずにすんだのかな、なんて思ったり。結果オーライなのだ。
最近の私は家人との長距離ジョギングにはまっている。これから娘たちが成長すると、こうして家人と二人で過ごす時間はどんどん長くなるのだろうな。二人で20キロだらだらとおしゃべりしながら湖岸から川べりを走る。湖岸で砂を蹴りながらラグビーボールを追いかける男子高校生の軍団、漕艇場で船を川面に浮かべる漕艇部の高校生、大学生たちを眺めながら、家人と私が出会った年頃の人たちがいつの間にか私たちの子どもほどの年頃になっていることに気づく。二人して「若いってそれだけで、素晴らしいね。」なんて老夫婦みたいな会話をしながら、だらだらと走る週末。それはそれでいいもんなのだ。

とぎれとぎれではあったけれど、この日記を始めて10年が経過してた!始めたころの私の日々は、退屈でおもしろくもないと思っていたけれど、今となると、あのころはなんて子どもたちと素敵な日々を過ごしていたんだろう!なんて思う。でもでも、今の毎日もそれはそれで面白いのだ。

びっくりするくらい足早に過ぎていった2014年、12月。
12月に入って、1年間闘病してきた義父が危篤状態になり、一家で慌しく博多へいったりきたり。この間まで、九州男児気質全開で「病人じゃなか!見舞いなんか来んでよか!」と言っていた義父が、再会したとたん、小さくなって棺の中に納められていたので、彼の死を現実としてとらえるまでにしばらく時間がかかった。一年先の人の人生分かったものじゃないな、いやいや、明日だって分かったものじゃないよな、なんて思う。
先日高野寛氏のライブに行った後、彼のFBチェックしたりしてたのだけれど、博多でのライブは義父が入院していたホスピスのすぐ裏にあるライブハウスで、ちょうどライブのある日に義父は危篤状態に陥ったのだった。「静」と「動」、「生」と「死」はいつも隣り合わせだとは分かっているけれど、私が15年ぶりにライブに出かけてエネルギーをもらった人と、義父がすごく接近した場所にいて、同じ夜に180度逆の方向を向いて生と死に向かって各々エネルギーを発散していたのだと思うと、不思議な気がして、何か因果があるような気がした。つまり、私はずいぶん年老いてきたけれど、生のほうにエネルギーを発して向かうポジションにいる人で、まだ死に向かっていくポジションにはなりたくてもなれないのだと認識させられた。
一年間、事故も病気もなく、毎日ビールが美味しい。まだまだ、私は死ねないし、子どもたちが大人になるのを見届けるまでは死ぬべきではないのだ。新しい年をすぐ前にして、そう思う。