ここのところ年の瀬とは思えないような暖かさ。嬉しいけれど、しもやけが痒いー。自転車をこいで通り過ぎるいつもの小道は冬とは思えないほど。鮮やかな赤色の南天の実や、通りに並べて植えられた葉牡丹を見ると確かにお正月も近い感じはする。
今週は忙しかった。週の初めはなんだかイライラしてた。全てが空回りっぽくって、夫のプレゼントを見つけに百貨店に行けばたまたま気に入って選んだ靴の夫のサイズの分だけが切れていたり、幼稚園の聖劇がとり行われる夜に馴染みの店で家族で忘年会を!と思って予約とろうとすればいっぱいで断られたり、仕事で何度もミスを繰り返してガックリしてたら本当は機械が壊れていたのだったり・・・この世の終わりのような悲壮な顔をして夫に当り散らしてしまった。ごめんねー。
週の半ばくらいにぶどう種を出してきて、友達とシュトーレンを作ったあたりからなんだか気持ちが落ち着く。なんだったんだろうねえ、あの不安定具合。シュトーレンの材料を惜しみなく贅沢にして、焼きあがった生地に嘘みたいに沢山の量のバターをすり込む作業をしながら、ドライフルーツとシナモンの香りにコクのあるバターの豊かな香りが混ざり合った瞬間、私の胸の中のもやもやはその香りと共にまるで昇華していてしまったかのよう。ああ、いい匂いは幸せになるー。この感覚は「かもめ食堂」のシナモンロールが登場してきたときと同じかもね。シュトーレンはイブに家族で粉砂糖振って柊でも飾って食べよう。。。
あとは幼稚園の聖劇。子どもの頑張っている姿はもちろん感動したのだけれど、私は母たちの姿にぐっときた。聖劇をするにあたって結構いろいろと役柄でもめたり、母たちが口を挟んだりでややこしかったのだけれど、本番は皆そのイロイロな気持ちがやっと皆の懐に落ち着いて穏やかな気持ちで子どもたちを見守ってたから。
子どもを持つと一人の時にはけして味わわなくてもよい感情とか、自分でもどうにもならない感情っていうのを味わう瞬間が多くて(特に真剣に子育てしている人にほどそういうことは付き物かと思うのだけれど)、ついついしんどい時にはそのことを否定的に捕らえがちなのだけれど、そういう感情を味わうということはけして無駄ではなくって、少しずつ積もり積もって私たちの感情の幅を広くしてくれているのだと思う。でも渦中にいるときはまったく、もう本当にまったくそのことに気付かなくて、振り返ってみるとアホみたいな感情に右往左往させられてた自分に笑っちゃうくらいで、でもそう思える日が後からやってくるのだとわかると随分と楽になったりもする。
こんな感情を思い出して、保坂さんの本にこんなとこあったよなーなんて「カンバセイション・ピース」を出してきて読み返す。19の姪っ子のゆかりをまえにして「今の自分が感じていることや考えていることがすべてではない」と30、40の自分の姿を想像させるところ?ちがうなあ?「世界はこんなふうに眺められる」で読んだかな?おぼろげ。