何も変わらない日々を送っている。とりわけ欲しいものもないし、困っていることもないけど、何かにときめくこともない。少々仕事で大変なことはあっても、まあ、お給料もらっているのだから仕方ない。流れるように日々は過ぎていく。時々好きな映画を観に行って、ジョギングをした後は、美味しいものを食べて、好きなお酒を飲む。

私は20代後半に乳飲み子を抱えて夫の転勤でこの地に越してきたのだが、それから20年来とても親切にしてくれた老夫婦がいた。以前は、その夫婦のこともこの日記に書いたことがあるように記憶しているけれど、いよいよ自力で暮らせなくなり去年から施設に入ることになった。いつも通りかかれば電灯がついているその家が、去年から空き家のままで、ひっそり真っ暗。真っ暗な家の前を通るたびに、自分の子育てが終わったことも相まって、あの怒涛の日々はもう返ってこないなあ、なんてさみしい気持ちになっていた。あの頃は、ずっと子育ては続いていくと思っていたのにね。

先日その家に電灯がついていて、人の気配があったので、ジョギングついでに寄ってみると、まったく別人が住んでいて愕然とした。ほんとうにあの日々は終わってしまったんだ、という決定打を喰らって、しばらくぼんやりして、涙が止まらなかった。

ジョギングの際は、イヤホンで適当にサブスクの音楽を流しているのだけれど、家族の好んで聴いている傾向の音楽が流れるだけで、だれの曲かわからないことがある。ちょうど老夫婦の家から帰るときに流れた曲が、その時の私の心情を表している曲で、とてもとても20代後半からこの街に越してきて過ごした愛おしい日々への思いと相まって、嗚咽するほど激しく泣いてしまった。あとで曲名を見直すと、奇妙礼太郎さんの「思い出の店」という曲。あー、娘がボロフェスタにいって、とにかく生歌がすごかった、ライブで泣いたの初めてやった、って言って、その後リピートして聴いてたんだろうなあ。なんて思い出す。

昨日、我が家から歩いて10分のところで奇妙さんのライブがあったので、出かける。その曲を生で聴いて、やっぱり泣いてしまう。もう、あの老夫婦、私たちのことなんて憶えていないだろうな・・・なんて思いながら。でも、確かにあのあったかい時間の恩恵を受けれたことに感謝している。

思い出のメニュー眺めれば 懐かしい人と生きられたあの頃に

帰りたくなってしまって 後戻るわけじゃない

記憶の中までたどるから

時が経っても 時が経っても

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