秋真っ盛り。毎年そうなのだけれど、10月はとても駆け足で過ぎていく。イベントが多くて、休日出勤も多くてヘトヘト。この間娘たちの合唱コンクールの歌声に感動していたと思ったら、それからもうゆうに一ヶ月を過ぎて、学校は受験一色になっている。卒業式に歌う曲も決まったとのこと。母さんはあなたの受験のために何をすることもできないけれど、せめてお仕事と、お休みの日においしいご飯を作ることくらいを頑張るよ。なかなか思ったような点数がとれなくて悶々としてるお姉さんだけど、友だちと足繁く塾だの図書館だのと通って、頑張ってはります。「お母さん、私頑張るし信じてね。」という力強い言葉を信じて、春を待つことにする。
      

休日に朝刊をゆっくり眺めていてびっくり。キリンジの高樹さんが、京都についての思い入れを語る記事が載っている。娘が先に発見して、「お兄ちゃん結構いい感じにオジサンになったね。」だって。娘たちと行ったことのある「ソワレ」や「イノダコーヒー」の記事を見て、「ああ、あの青い店ね、昭和っぽい…」「ああ、あの甘いコーヒーのお店ね」なんて会話が娘たちの間で飛び交う。磔磔のライブなんて、忙しすぎてすっかり忘れていた。記事の写真の、高樹さんの後ろにさりげなく、でも少し意識しながらちらっと写っている千ヶ崎さんに萌える。
最近「早春」をよく聴いている。今さらなのだけれど、この曲の歌詞は素晴らしいと思う。キリンジ脱退前の泰行さんの弟ならではのやんちゃっぷり、それをやさしく見守る兄、独り立ちしたい弟のもどかしさって構図がよく表れている歌詞だと思う。私にはよくわからないけれど、きっと男兄弟の世界にはどうにもならない男同志の力関係が働くのだろう。また、私は泰行氏の声で歌われる「〜するのかい?」「〜のふりかな?」といったようなやさしく咎めるような、それでいて相手を受け入れるような声色にやられてしまう。この歌に冨田さんのアレンジとは、なんて贅沢な一品!
寒い冬を越さなければ、雪解けの春は来ないのだ。

雪の下には春だぜ
前足で探る君よ
枝をくぐり 川を走れ
山が光っているだろう

ぬかる道で躍るのかい
尻尾が千切れそう
遠くで呼んでいる

wake up wake up wake up wake up
ヒバリ ツグミ オオルリ ウグイス
wake up wake up wake up wake up
キジが鳴いた ツバメは見たか

東の風 待ちわびて
石を投げる日々
足もとをごらんよ

wake up wake up wake up wake up
スミレ ナズナ アザミ ハルジオン
wake up wake up wake up wake up
ウメは咲いた サクラはまだか

気が付いたら夏は過ぎ去り、秋真っ盛り。自分でいうのもなんだけれど、最近はオンとオフの切り替えがはっきりできるようになった。40越えても人間ちゃんと成長できるのだ。
子どもたちがやれ部活や塾、夕飯、弁当、と用事があるので、私も小刻みな自由時間しか持てないのだけれど、最近は夫とトレイルランもどきにはまっている。はたから見ると滑稽かもしれないけれど、ひたすら急いで山に登り降りる作業。登山本に設定されている時間の約半分の時間で山を登り降りする目標をたてて、夫婦で黙々と歩く。会話を楽しむ訳でもなく、頂上からの景色を眺めてのお弁当を楽しむ訳でもなく。ただただお互いに合わせているわけではないのに合ってしまう歩きのテンポに安心感を得ている。ストレスフリー。
先日「めぐりあわせのお弁当」を観る。あんまりよくて、映画好きの友達に観るようにとメールしてしまった。男性の弱さからくる優しさに私はいつもノックアウトされてしまう。きゅんきゅんしてしまったよ。よく思い出せないけれど、「ONCE ダブリンの街角で」という映画を見たときの感触に似ていると思った。もう一度観に行きたい。

遅れたお盆休みをとって、先週は娘の高校体験入学に行った。
娘さんは「お母さん、一緒に行こうよ〜」と言ってたくせに、高校では私に一目もくれず、まったく別行動。私が彼女の姿を見つけ話しかけようものなら、すごく迷惑そうな顔をしていた。よしよし、健全な思春期の少女に育っている。恋人同士のように上履きの用意からお母ちゃんにやってもらい、終始お母ちゃんと一緒に見学している男子生徒よりよっぽど普通だと思った(結構多いの…びっくり!)。
2校参加したのだけれど、各高校とも良い感じだった。SSHやらSGH等聞き慣れない語句や、国内、海外大学、企業へのインターン制度やらなにやらで、いまどきは公立高校でも何かと進んでいる。へえ・・・。体験授業とやらもあって、娘は数学の授業に参加。見つからないように、こそっと参列したのだけれど、男子が半分以上占めるクラスで、怖そうな数学教師に当てられて答えたり、挙手して発表したりしてて、なんのなんの、娘さん意外と頼もしかった。娘さんは、すっかり志望校を決めて、部活見学までしてきていた。山岳部!?に入るのだそう。
自分の高校時代なんて、ついこの間のような気がするのに、もう娘が高校生活を送るようになるなんて、ちょっとピンとこない。学園祭のビデオなんか見せられて、やってることは自分たちの時代と大して変わっていないのだけれど、みんないい顔してる。自分もこんな顔をしてたのだろうか。
来年の今頃は、娘さんが志望した学校に通えていたらいいな。
木曜日の夜は久しぶりに在宅していたので、popholicさんのラジオ番組を思い出し、やっと聴いてみた。高野寛特集。くるりのベステンダンクが流れてきた。娘の高校体験入学に行った日に、自分が高校時代に聴いていたベステンダンクが違った形で偶然聴けて、なんか嬉しかった。
また、いまヘビーローテーションで聴いているKIRINJIの11にも「だれかさんと だれかさんが」という、放課後の理科室の曲がある。自分の高校時代を顧みたり、娘さんのこれからを思ったり。年を重ねると、いろんな曲を聴くときに私の中のいろんな記憶や想いが呼び起こされる。年をとったという証拠なのかもね。

気がついたら8月。いろいろなことが周りで起こり、日々は慌しく過ぎていくけれど、自分の境遇は、良くも悪くも変わらず。ただただ、目を閉じて、今年も帰れない故郷の夏休みの風景に思いをはせる。あの頃は夏休みも退屈で長かった。緑色に燃える山、轟音で鳴く蝉、ゴザの上での昼寝、イ草の匂い、扇風機の音、おやつに食べるトマト・・・
先日、柴崎友香さんが芥川賞を受賞されての新聞記事が好きで、スクラップした。

ある建物取り壊され、新しい建物が完成すれば、元の風景は失われる。しかし、私の記憶の中には、その場所がある。
 目の前で会話をしている誰かにも、それぞれの記憶の場所があるだろう。それまでに住んだ場所や、思い出の場所を、心の中に抱えて暮らしている。わたしには見えないその場所を、見てみたい、とよく思う。その場所を思う人の強い気持ちに、長い時間を変えて場所に積み重なった大勢の記憶に、何とか触れることは可能だろうか。
 それが、私が小説を書く動機の一つなのは間違いなく・・・(略)

この記事を読んで、自分が保坂さんの「この人の閾」を読んだときに似た感覚を味わったことを思い出す。人々の思考の中に存在する風景や考え方などは、死んでしまえば、それは屍とともに焼かれて何もなくなってしまう。
本が読みたい。そして、仕事以外のことで無駄に思考したい。

三連休、最終日。
長女は明日から始まる総体のことで、頭いっぱい。壮行会のあいさつ準備、チームメイトと下級生や顧問の先生へのメッセージカード作り、受験勉強なんてどこ吹く風。母としては、小言の一言でも言いたくなるのだけれど、そこをぐっと我慢する。今の彼女に小言を言うだけ無駄。部活、せいぜい全うしてください。
彼女は、優れたプレイヤーではなかったかもしれないけれど、キャプテンとして部をマネージメントする力は優れていたと思う。そのことは、今後の彼女の人生によい影響を及ぼすはず。最後まで悔いのないように。
夫は3連休毎日実験があると仕事に行ったし、娘たちは部活に明け暮れていた。私自身、緊急の仕事もなかったし、すごい喧噪になってそうな京都に出ることもしなかった。平穏な3連休をぼんやり自宅で過ごした。
昨日したことと言えば、娘たちが宿題に作りかけてたティディベアを2体完成させたことくらい。手芸や裁縫やりはじめると、止まらなくなっちゃう。チクチク針仕事するのは、本当に楽しい。平面の型紙から抜け出した2Dの生地をつなげていくことで3Dになっていくのがたまらなく楽しい。裁縫で他に私が大好きな工程の一つに、襟ぐりの始末がある。辛抱しながら面倒な始末をやって最後に見返し部分をひっくり返すのだけど、その瞬間がたまらない。始末を怠らずに行うと、ひっくり返した襟ぐりはピシッときれいに落ち着いている。ああ、裁縫熱に火が付きそう。子どもたちの発表会の衣装を一晩で縫っていた頃を思い出す。
チクチクしながら、KIRINJIの新譜。ああ、やっぱり彼らの存在を私の中から排除することなんかできないんだ。
いちいち琴線に触れる歌詞、コード進行。自信なくしたり、自分が嫌になりかけたり、ふらふらになって目的を見失いそうになる毎日だけれど、私のそんな毎日を黙って見守ってくれてた、明日からもぶれずになんとかやっていこうと思わせてくれる曲。新譜も久々買おうかな。

11(初回限定盤)(DVD付)

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夜にはテレビでくるり。岸田君がフルカワミキちゃんと嬉しそうに歌ってる。
岸田君も年をとって丸くなったな。心も体も。
子どもと参加する立命館高校のオープンスクールでは、卒業生としてくるりがクローズアップされたり、BGMがくるりの曲だったりするから、なんか不思議。時間が確実に経過したな、と思う。

先日42回目の誕生日を迎えた。当日は、職場のみんなにバースデーソングを歌っていただき、ケーキをいただいた。家族からも向日葵の花束とケーキをいただいた。私はほんとうに幸せ者です。
いつのころからか、私の誕生日に対する認識は「生まれた日」を祝う日ではなくて、「無事に一年間すごせたことを祝う日」にすり替わっている。41歳の私、お疲れ様。そして、支えてくれた人々、ありがとうございました。42歳の私も元気に過ごせたらいいな。
ここのところ、もうとにかく仕事が忙しくて、洒落にならないくらい四六時中仕事のことを考えてなきゃいけない状況にさらされている。ストレス、ストレス!!夫も私と同じ状況で、自分たちが管理職の年代に差し掛かっていることをひしひしと感じる。
また、子どもたちの成長も著しくて目を見張るほど。先日あまりにも長女の塾からの帰りが遅いので迎えに出たのだけど、彼女が男の子と二人で仲良く話しながら帰ってきている場面に遭遇した。よく見ると、去年学校で同じクラスだった成績優秀なY君。彼が娘の自転車を押して、長身の身をかがめるようにしてそれはそれは楽しそうに娘と話しながら歩いている。彼は私を見ると慌てて娘に自転車を返し、「こんばんは。」と丁寧に挨拶すると「じゃあ、また明日ね。」と長女に手を振って去っていった。そういえば、最近長女の口からY君の話題が良く出てたな、なんて思いながら長女と夜道を帰る。長女はあっさりしたもので、ぜんぜん気にしていない。「Y君、結構オタクでかわってはんねん。おもしろいで。」とのこと。もう15歳だものね。今年受験生の娘の未来はどうなっていくのかな。

16日は16回目の結婚記念日だった。にもかかわらず、私は仕事がたまっていて、帰宅したのは22時。夫が晩御飯を用意して、ワインの封を切らずに待ってくれていた。ちょうどふたりで夕食を食べ始めたころに、娘二人が塾から帰宅した。
娘たちは私たちの結婚記念日に毎年ささやかな贈り物をしてくれるのだけれど、今年も贈り物をいただいた。夫にはブルー、私にはピンクのポケット型メモ帳。お仕事で役立ててください、とのこと。そして、もう一つは「星の王子さま」の文庫本。私、夫、それぞれの袋に1冊づつ入っていた。「大切な人に贈る本」と帯に赤いリボンが印刷してある。いつのまにこんな素敵なこと思いつくようになったんだろう。そうそう、「かんじんなことは、目には見えない。」のだ。

先日時間ができたので、「そこのみにて光輝く」を観に行った。すごい映画だった。千鶴ちゃんと、菅田くんの演技が神がかっていた。私は、人間の弱さみたいなものがそのまま表現されている映画が好きだ。どのシーンも愛おしい。人間なんてだれも弱いものだから。