9月も終わり。今日は今日まで消化しないといけない夏休が残っていたので、一日お休み。
午前中はだらだら。BGMかけながらおでんでも仕込もうかなと下ごしらえをしていたら、久々オリジナル・ラヴの「LOVE! LOVE! & LOVE! 」がシャッフルで流れてきて、かっこいー!と腑抜け状態になってしまったので、家事が一段落ついて、90年代オリジナル・ラヴ画像を見まくる。この頃のオリラヴは神がかってる。今は亡き宮田さんのドラムが素敵だ〜。また、田島さんの色気がすごい。引き続きPizzicato Five。あのころの私が出会ってときめいたような曲にこれからの私は出会えるのだろうか。


お昼からはメイク用品が切れそうだったので、百貨店の化粧品売り場へ。念入りなメイクをしない私なので、たまーに買いに行く程度。一度肌にのせた色物はできるだけ伸びがよくて、残る時間が長いものを見つけた結果、一番効率が良いのはシャネルだという結論に至り、10年来使っているのけれど、実はここの売り場や店員さんが苦手。今日は平日で店もすいていて、年配の店員さんが気さくに接してくれたのでよかった。いろいろおしゃべりしておまけをたくさんもらい、アイメイクをしてもらって帰る。ちょっと目の周りをさわってもらっただけだけど、普段自分がしているメイクと違って、表情がずいぶんと変わる。さすがプロ。そんなこんなで、あっという間に休日も終わり。
今夜はオリラヴの音で寝かせた、具だくさんのおでんで家族みんなを迎えることとしよう。

いつ頃くらいからかな?お盆明けくらいだっただろうか。暑くてたまらなくて目覚めていた朝から、窓から入ってくる空気がひんやりつめたくて、鳥肌が立った体にタオルケットを巻きつけて二度寝するような朝になったのは。
今年過ごした夏をぼんやり振り返る。特別なことは何もなかったけれど、今思うとあっという間の、いい夏だった。久しぶり(2年半ぶり!)に故郷に帰って、相変わらずの景色を見ることができた。家族旅行では、みんなの意見が一致した直島に、一泊だけれど滞在できた。ちょっとずつすれ違っていた家族みんなの心の隙間を少しずつ埋められたような夏だった。
娘とおしゃべりしながら歩いた実家付近の土手の風景、汗だくになりながら自転車で駆け降りた直島の坂道の風景、どれも頭に焼き付いている。
ほんとうにいい夏だった。


新学期も連休も瞬く間に過ぎて行って、梅雨入り前の日曜日。ジョギングをしていると、アジサイのつぼみをあちらこちらで見つける。バラの香りもどこからか漂ってくる。晴天の週末もぼちぼち終わりかな。
長女の新生活も軌道に乗ってきて、今日は朝から陸上部の記録会。インターハイも近い。彼女は7年間続けてきたバスケに見切りを付け、高校入学してからは陸上部でミドル競技の選手になった。ミドル競技は同学年に男子しかおらず、男子と一緒に練習しているようで、毎日くたくたで帰ってくる。その練習内容はすごくて、男子と同じペースで40分間走の後、200メートルダッシュ+200メートルジョグを20本やってきたとか、聞いているだけで吐きそうになる。おかげで彼女はとってもジャージの似合う女の子になった。男子の友達もたくさんできたようだ。まあまあ、青春を謳歌してください。そんな長女が先日「お母さん、教科書に村上春樹の『鏡』が載ってたよ。読んで怖くなった。」と差し出すので、私も読み返しながらこわくなる。あ、そうそうと、「高校生のための文章読本」を出してきてあげる。これ、面白いよ。読んでごらん。お母さんも昔読んで、本好きになったところもあるから、と渡す。

高校生のための文章読本

高校生のための文章読本


以前から写真家の植本一子さんの綴る「働けECD」という日記が好きで、単行本好きで読んだり、ブログ読んだりしていたのだけれど、寺尾沙穂さんの映像に関与しておられてびっくり。私の好きな音と映像がつまった一作。心に深く深く入り込む一作。

年度末の週末だと言うのに、娘たちは各々部活やら、友だちとのおでかけやらで不在。夫とまったり家の片付けにいそしんだ。そして日がしっかりと落ちないうちから、ワイン片手に二女の今後のことを二人で語り合う。最近私たち夫婦の目下の悩みは、二女の今後のことなのだ。
自分がどう見られるか意識していない頃の彼女は、勇ましくてかたくなでいて、頭の回転が速い子だったのに、周りからの評価や視線が彼女を少しずつ少しずつ変えていってしまって、いまや牙を抜かれた虎みたいな状態。周りをすごく気にするいわゆるいい子に育ってしまった。自分を出さないことに徹底しすぎている。14歳思春期真っ只中の彼女の心の中は、表面からは想像のつかないことがあふれているのだろう。
そんなこんなしているうちに、二女が部活から返ってくる。ものすごい食べっぷりと、シューズが小さくて足が痛い(25センチ!)からシューズ買ってほしいという話を聞きながら、いつもの食卓。
友だちと遊園地にお別れ旅行に行った長女からLINEがくる。どしゃぶりの中遊園地に出かけていった彼女から、「晴れてきた〜♪今からジェットコースター乗ります!」送られてきた写真はなかなかいい感じ。
こうして年度末の週末も暮れてゆく。

春、はる、ハル!
一緒に駅まで歩く長女が、「お母さん、お母さんの好きな春の匂いがしてきたね。」というので深く息を吸い込むと、どこからか沈丁花のにおい。「ほんとだね。今度こそ春が来るのかな?」なんて返事をしながら、二人で4月から始まる新しい生活のことを話す。志望高校に無事合格した娘は、いよいよ4月から電車通学を始めることになる。それなのに今朝も、「塾に行って友達とおしゃべりした夢見たー」「○○くんと、○○ちゃんと一緒におしゃべりしながら塾から帰る夢見たー」なんて言って起きてくる娘は、完全に塾ロス症候群。合格したのも束の間、すぐにでも塾に行って友達とおしゃべりしたいのだそう。LINEだけでのやり取りでは、物足りないよーとのこと。しんどかった分、塾の仲間たちと一緒に楽しい受験勉強生活が送れたのだろう。
母親である私は、1月から3月初旬にかけて仕事がひどく忙しく、土日出勤はあたりまえ、23時くらいに帰宅する日々が続き、家人から労働基準監督署に届け出ねば!などと言われながら過ごす冬だった。娘の受験のために生活を朝型に整えるとか、夜食を準備して風邪をひかないように部屋を暖めておくなど、一般的な母親が受験生にしてあげるようなことは一つもできていなくって、家人にも呆れられていたのだけれど、かえってそのことが彼女の自立を促したり、変なプレッシャーかけずにすんだのかな、なんて思ったり。結果オーライなのだ。
最近の私は家人との長距離ジョギングにはまっている。これから娘たちが成長すると、こうして家人と二人で過ごす時間はどんどん長くなるのだろうな。二人で20キロだらだらとおしゃべりしながら湖岸から川べりを走る。湖岸で砂を蹴りながらラグビーボールを追いかける男子高校生の軍団、漕艇場で船を川面に浮かべる漕艇部の高校生、大学生たちを眺めながら、家人と私が出会った年頃の人たちがいつの間にか私たちの子どもほどの年頃になっていることに気づく。二人して「若いってそれだけで、素晴らしいね。」なんて老夫婦みたいな会話をしながら、だらだらと走る週末。それはそれでいいもんなのだ。

とぎれとぎれではあったけれど、この日記を始めて10年が経過してた!始めたころの私の日々は、退屈でおもしろくもないと思っていたけれど、今となると、あのころはなんて子どもたちと素敵な日々を過ごしていたんだろう!なんて思う。でもでも、今の毎日もそれはそれで面白いのだ。

びっくりするくらい足早に過ぎていった2014年、12月。
12月に入って、1年間闘病してきた義父が危篤状態になり、一家で慌しく博多へいったりきたり。この間まで、九州男児気質全開で「病人じゃなか!見舞いなんか来んでよか!」と言っていた義父が、再会したとたん、小さくなって棺の中に納められていたので、彼の死を現実としてとらえるまでにしばらく時間がかかった。一年先の人の人生分かったものじゃないな、いやいや、明日だって分かったものじゃないよな、なんて思う。
先日高野寛氏のライブに行った後、彼のFBチェックしたりしてたのだけれど、博多でのライブは義父が入院していたホスピスのすぐ裏にあるライブハウスで、ちょうどライブのある日に義父は危篤状態に陥ったのだった。「静」と「動」、「生」と「死」はいつも隣り合わせだとは分かっているけれど、私が15年ぶりにライブに出かけてエネルギーをもらった人と、義父がすごく接近した場所にいて、同じ夜に180度逆の方向を向いて生と死に向かって各々エネルギーを発散していたのだと思うと、不思議な気がして、何か因果があるような気がした。つまり、私はずいぶん年老いてきたけれど、生のほうにエネルギーを発して向かうポジションにいる人で、まだ死に向かっていくポジションにはなりたくてもなれないのだと認識させられた。
一年間、事故も病気もなく、毎日ビールが美味しい。まだまだ、私は死ねないし、子どもたちが大人になるのを見届けるまでは死ぬべきではないのだ。新しい年をすぐ前にして、そう思う。

秋晴れの3連休。
朝から大量の洗濯や家族の布団を干し、掃除機をかけて、ゆっくりコーヒーを淹れる。コーヒーをすすりながら新聞を読めば、もうお昼ご飯の準備をする時間。ウィークデイの疲れはルーチンワークをこなしながら、こうして少しずつほぐれていく。部屋に差し込む湖面の反射光が眩しくて気持ちいい。
昨日は晩御飯を早々に作り、博多百年蔵で見て以来15年位ぶりかな?高野寛さんのライブに出かけた。ほんとにほんとうに、いいライブだった。
「夜の海を走って月を見た」を聴いて、涙が出そうになる。高校生の時に好きで聴いていた曲は、42歳になった私の心も震わせる。夜の深い淵に沈んでいくような感覚。もう、身軽だったあの頃にはもどれないんだな〜なんて私の25年間が頭の中でぐるぐる回った。
「On & On (& On)」も久々聴くと、本当にやさしい、いい曲。うん、うまくいくことばかりではないけれど、目の前の毎日をそれなりにやりすごしていこう。
他にも懐かしい曲がたくさん演奏された。やわらかく、丸いギターの音色。
高野さんも、いろんなことがあったんだろうな。25年前初めて彼を見た高校生の私は、彼のかわいらしいルックスと尖がってて媚びない感じのギャップが素敵だと思ってた。音もピリッとしてて、ストイックな作り込むイメージ。それが「TRIO」での歌声は肩肘張ってなくって、ギターの音も声もやわらかい。終演後は「TRIO」にサインいただいて、昔行った百年蔵のときの話をしたりして、高野さんに握手してもらった。本当に夢のような夜。
うっとりとして帰ると、台所には大量の食器が。現実はこんなもの。さっさと食洗機に食器類を放り込み、湯船に浸かりながら余韻に浸る。歳を重ねることで捨てるものもあるけれど、得るものもある。50歳になるというのに、少年のような高野さんのごつごつした手の感触を思い出しながら、私も後悔のないように毎日を重ねていこうと思った。

TRIO

TRIO